仏教

2010年1月21日 (木)

本当の自由とは

昔は自由とはルールに縛られないことだと思っていました。
それで社会に反発したりして自由になりたいという風に思ったり、そういうことがカッコいいことだと思っていたのです。
ですが、それでは本当の自由は手に入らなかったんです。
本当の自由とは、欲望から解放された状態のことだったのですね。
欲望を満たそうとする行動は、結局は欲望に囚われていて自由なんかじゃないんです。


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2009年11月30日 (月)

やる気についての考察

やる気にいつて考察してみました。

やる気というのはエネルギーですから、続くものではありません。
やがて消えていくものです。
その原因をいろんな側面から調べてみました。

・結果か出ない
・あらゆる障害に遮られる(別の対象に興味がそれる)
・違う結果が得られる
・高すぎる目標
・自分を低く評価してしまう、ダメ出しをだされる
・不安を煽られる
・細かいことにこだわる、完璧主義(別の対象に興味がそれる)
・他人と比べる
・居場所がなくなる
・生理的な問題(疲労、眠気etc)

こういった様々な問題によってやる気のエネルギーは萎んでしまいます。
やる気のエネルギーが強ければ強いほど、これらの問題へ打ち勝つことができます。
どうしたら強いエネルギーとなるかですが、ここは私の考えですが、まず最初に自分がやりたいと思ったことかどうかが問題です。自分がやりたいと思ったことには強いエネルギーがあります。反面、他人からやれと言われたことにたいしては、それほど強いエネルギーはありません。
本などを読んで強いエネルギーを得たとします。この場合は自分がやってみたいと思ったので、強いエネルギーとなりえるのです。
ですが、続かないのです。
最初だけ、エネルギーを注入したとしても、萎んでいくものですから。
そこでエネルギー補給が必要となります。

このエネルギー補給については今後の考察課題です。
今のところの考えでは、エネルギー補給には努力が必要であること。また、繰り返し志、初心を思い出すこと。

そして、問題に対する耐性を作ること。
例えば、集中力を高めること、
毎補給に一回は満足感を得ること(例えば誰かに褒めてもらう、思い通りの結果を得るなど)、
目標までを細かく区切って分けること。
が、有効なのではないかと考えております。

やる気についていろいろと調べているうちに、これはカルマのことだったんだ、と気づきました。
ということは、相当難しい対象であると思うんです。簡単には分かるようなもんじゃないと。
小さなやる気から大きなやる気まで様々ありますが、すべてに結果が伴います。
やる気=カルマなら。

そして人格を作り上げるのにとても重要なものがやる気なんですね。


参考URL
http://www.j-theravada.net/howa/howa42.html
http://bizmakoto.jp/bizid/articles/0906/04/news084.html
http://www.aoky.net/articles/daniel_pink/dan_pink_on_motivation.htm
http://bizmakoto.jp/bizid/articles/0711/09/news040.html

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2009年11月21日 (土)

希望のしくみ

希望のしくみを読んでいで、はっとしました。
この部分です。

−では「苦しみ」とは何ですか?
「現実をありのままに受け入れないこと」です。だから、現実を受け入れたら「苦しみ」はないですよ。
それなのに皆さん、「現実をありのままに受け入れるのが苦しいんだ」と勘違いしている。
それで現実から目をそらして、「幸福」という観念が生まれるんです。 たとえば、「部屋が汚れているという現実」を受け入れたくないとします。 それで「ああ、きれいな部屋が欲しいなぁ。きれいな部屋に住めたら、きっと幸せなんだろうなぁ」とか思うんですね。
 つまり、部屋のいまの状態を受け入れたくないと思った気持ちが、「苦」です。 それに「期待・希望」を入れて、「きれいな部屋に住みたい」と、経験もしていない状態を妄想するんです。
「部屋」を「自分自身」に入れ替えてみてください。いまの自分の生き方に納得していない状態が、「部屋が汚れている」です。それで別な生き方があるのではないかと思い、希望と期待をたして、幸福を夢想するんです。

−それの、どこが問題なんですか?
「期待・希望」が加わると、事実でなくなってしまうんです。その証拠に「では、きれいな部屋って何なのか、あなた知ってますか?」と聞かれても、まともな返事ができないでしょう。汚れていると思った部屋でも、別な部屋と比較すると、マシではないかと思ってしまうこともある。きれいな部屋だと思っていたのに、他と比較したら汚かった、ということもあるでしょう。
 自分の人生を他人と比べると、また同じ結果になります。幸福も不幸も、すべて相対的で、あてにならない観念でしょう。幸福と思ってもその状態に期待・希望を足してみると、不幸という結果になる。不幸という状態に期待・希望を足すと、さらに不幸、という結果になる。ですから、期待・希望(仏教用語で渇愛)が問題です。
老いることは苦ですか?苦でも楽でもなく、事実でしょうに。避けられない、逃げられない、受け入れなくてはならない。
そういうものです。それなのに、老いることはない、老いたくないと、事実に反してあべこべに思考する人には、老いることは苦になるのは当然なんです。老いるという事実をありのままに認めて、期待・希望という苦を作る原因から自由になっている人にとっては、老いることは苦でもない、楽でもない。心は平安なんです。

宝島社「希望のしくみ」より引用

ああ、いろんな苦しみとかは自分が作り出してるんだな。
相手が悪いと思っていたことも結局は自分の渇愛が原因で、そう思えていたんだなと。
なんだか、このことに気づいてからはだいぶ心が軽くなった気分になりました。

希望のしくみ

      
希望のしくみ

著者:養老 孟司,アルボムッレ・スマナサーラ

希望のしくみ

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2009年7月 2日 (木)

瞑想の時間

毎朝5時に起きて30分間、瞑想しています。

この瞑想の時間って私にとってとても大切な時間です。
頭の中のもやもやを消してくれる時間でもあり、なんだか知恵もついてきているような気がします。

いろいろな物事が子供のように興味が出てきて吸収できるようになったといいますか、
いろんなことが楽しくなってきたんです。
これが瞑想の効果なのか分かりませんが、頭の中を整理することが出来る瞑想ってすごいなって思います。

 

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2009年6月15日 (月)

掃除をする

人間は汚いものです。汚物をそこら中から出します。
ですので人間が生活するということは周りも汚れていくことになるんですね。

そこで掃除が必要になるんです。
この掃除というものは結構面倒ものです。
それもそのはずです。
最初に書きましたように人間がいる限り、掃除しても掃除しても汚れるのですから・・・

それでも掃除をしなければゴミだらけになっていきます。
でも面倒だ。
だれか変わりにしてくれないか。
というようにどんどん悪い心が出てくるのです。

掃除というものは、この悪い心をきれいにする行為(修行)なんじゃないかと思うんです。
ですので、掃除をするときはきれいな心でしないと意味がないんです。
悪い心を出しながらやるのなら結局汚れちゃうんですから。

その悪い心とは怠惰だったり、怒りだったり、潔癖症もその一つだと思います。
汚い汚いと思いながら嫌々やったり、ピカピカにならない(少しでも汚れている)と気がすまないというような心です。

こんなお話があります。

仏陀の時代の話ですが、ある比丘がRevata大阿羅漢の庵に住み、朝も昼も夕方も夜も、いつも箒を手放すことなく掃除に専念していました。この比丘は正直者で、「とにかく朝から晩まで何かをしていれば修行になるのではないか」と思っていたのです。「信者さんの御布施を戴いて何もしないでいることは、出家者としてふさわしくない生き方だ」と思っていたのです。仕事といっても出家者には他にやることがないのだから、掃除ばかりしていたのです。彼は、作務を熱心にすることで立派な修行者になれるのではないかと思っていたのです。その彼が、ある日の午後、掃除が殊のほか忙しかったのか、坐ってサマーディに入っていたRevata長老に向かって、「怠けるな」と言ってしまったのです。それに対して長老は、「掃除は一日一回で充分です。ホンモノの仏道はこころの掃除なのです」と彼を諭しました。その比丘は、その言葉を聞いて深く反省し、それからよく修行に励みました。掃除が一日一回になったものですから、庵の周辺は以前ほどきれいではなくなり、他の比丘たちが掃除を怠けているのではないかと彼に糺しました。彼は、「昔怠けていたときには、一日中よく掃除をしたものです。いまはこころから怠けが消えたので、掃除のことはそれほど気にしません」と言いました。比丘達はそれを聞いて、「彼は自分が悟っていると言っている」と、お釈迦さまに報告しました。お釈迦さまは、その比丘が悟ったことを認められたということです。

参考:「ホンモノ」と「ニセモノ」 ~中身を磨くか、うわべを飾るか~

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2009年6月13日 (土)

輪廻についての考察2

「お釈迦さまが教えたこと3 有意義な生き方」
根本仏教講義 4.死んだらどうなるか
を参考にしています。

前回、因縁があるかぎり現象は消えることはないと書きました。
生きているこの状態も現象でありますし、現象は無常なんです。
新しい現象が生まれ続ける連鎖反応の状態です。

薪があるとします。
これも現象です。
ですので無常です。
薪が燃えると薪は消えますが煙と火という結果が生まれてきます。
そしてその煙と火もまた原因となり結果が生まれるのです。
こうして現象は連鎖しつづけ止まることはありません。
人間の体だってそうです。
心に関してはもっと難しくなりますし、理解は出来ません・・・

それよりも何より、死んだら何も無くなるとしたら辛すぎます。
それで死んだらどうにかなるとなぐさめてくれるのが世の宗教です。
お釈迦様の場合は、死後のことは殆ど話さなかったそうです。
死んだ後のことなんて、結局はわからないからです。
それよりもどう生きるかなんですね。
もし死後に何か世界があったとしても、今世で道徳を守って生活するならば、来世でもいいところに生まれるんです。
今世で悪いことをして生活をすれば今世も不幸になるのですから、来世も不幸になるんです。
ですので、死後のことを考えてもしょうがないよということが言いたかったのです。

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2009年6月 9日 (火)

輪廻についての考察

輪廻転生についての考察です。
このことは、実際わからないことですし、きちんと説明できるかどうかもわからないのであまり書きたくはない部類のお話ですが偽さんのコメントにもありましたし、最近本当に身近に起きる出来事、死ということに関する重要なキーワードですので書いておきます。

「お釈迦さまが教えたこと3 有意義な生き方」
を参考としております。

まずは3つの人生論を先に考察してみたいと思います。

1.人生は死んだら終わり。あとは何もなくなる

この人生論ですと、生きているうちにどんな罪を犯してでも自分の幸福のために動いたほうがよいという結果になってしまいます。
すなわちとても危険な考え方となります。

2.死後はみな浄土に行く

どんな悪いことをしても浄土に行くというのは変ですよね。
それに生きていることは基本的には苦ですから、この人生論でいくと、出来るだけ早く死んだほうが得ということになってしまいます。

3.死後は永遠の天国か永遠の地獄に行く

この人生論ですとちょっとした罪を犯してしまえば永遠の地獄行きです。
また神を信じれば、神が罪を許してくれるならば、人を殺しても許されるはずですよね?

これら3つの考えに対して輪廻転生という考え方があります。
生命は輪廻する。物事は因縁によってなりたつのだから、因と縁があるかぎり現象は消えることはない。というものです。
生命はものすごいエネルギーのかたまりですから肉体と心が死でバラバラになって分解してしまっても、必ず何かになるのです。

次回はもうすこし詳しく書きます。

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2009年5月29日 (金)

死ぬということ

身内に不幸がありまして更新が滞っておりました。
それにしても死というのは、すごく身近なものなんですね。
ですが身近な人の死を目の当たりにするとつくづく実感します。
ああ、自分もやがては死ぬんだなと・・・・
普段は寂しくなったり怖くなったりしますから死から目をそむけていますが、人は、いえ生命あるものはいつか死ぬんです。
死ぬと身体だけ残して心が抜けて行きます。
本当に物体になっちゃうんですね。
いままで残してきたお金や物などの資産や知識とかすべておいていかなくてはならなくなります。
ですのでそういったものに執着するということは馬鹿らしくなっちゃいます。
生きているうちに一生懸命かき集めたそれらのものは死をむかえた瞬間に自分のものではなくなってしまうのです。
何のためにがんばって集めたのかってことになっちゃいます。

もし来世というものがあったとしても、生まれたときには赤ちゃんなのですから知識すら残ってないことは分かりますよね?
ですが生まれる場所というか環境というものはそれぞれ違うわけで幸せなところに生まれるかどうかは分かれるのかもしれません。
それが前世の行いによって決まるというのはなんとなく分かる気がします。

でも実際、死→生のルートは誰も記憶がないわけで説明できる人なんていないのです。
ですので死→生のルートすらあるのかすら分からないのです。
もしかしたら死→無かもしれません・・・
ですが、死んだらなにもなくなっちゃうと考えると怖いですよね?
そういったところから極楽浄土とか天国とか、そういった概念が生まれたのだと思います。
結局のところは死んだ後どうなるかなんてわからないんです。
分かっていれば答えは一つになり、はっきりとしているはずです。
ですがそうじゃないので分からないのです。
わからないことを考えてもしょうがないんです。

ですが、その先があろうとなかろうと今生で善い生き方をすればいいということです。
そうすればもし来世があったとしても善いところに生まれますし、何よりも今世が幸せになります。

死というものを考えたとき、今という一瞬が有限であるということを思い出します。
一日という単位は人間が勝手に決めたものですが、生きているということは一日一日を消化していくということです。
残りの日数も決まっています。
それなのに一日をだらだら過ごすということはもったいないことです。
そう考えると一生って長いものではないんだなと改めて実感しました。

死についは、まだまだ色々書きたいことがありますが長くなりそうなのでこの辺にしておきます。

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2009年3月24日 (火)

3つの生きている目的と意味

以前、盲信してはいけないと言われてからいろんな分野の本や、仏教の中でもいろんな人の本などを見たりしていますが、NHKの「こころの時代」という番組も見るようになりました。

その中で相国寺・金閣寺・銀閣寺の住職である有馬頼底禅師のお話にとても感銘をうけました。

そこでさっそく有馬禅師の本
「無の道を生きる」
「自在力」
の2冊を購入しました。

また読んで勉強をしたいと思います。

3つの生きている目的と意味

  1. 人格

1.無

以前にも書きましたが、生きている目的や意味なんてないんです。
何も無い状態で生まれてきて、何にも持たずに死んでいくんです。
ですので無いのです。
途中で色々くっついて肥えていくのですが、それとともにこだわりとか余分なものがいっぱいくっついていきます。
それを捨て去ることが必要なんですね。

2.人格

それでも目的や意味がないと何ですので作るわけです。
それは人それぞれなわけですが、私が教えられたのは(有馬禅師のお話で)悪い方向へいかないようにすること、人格を高めることです。
そして自分自身を知ることです。
自分自身を知ることはすべてを知るということです。

3.道

人格を高めるといってもどうやったらいいのかよくわかりません。
そこでお釈迦様が説かれた八正道という道があるのです。
八正道に沿って生きていけばいいのです。

これが生きるうえでのフレームワークとなるのです。

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2009年2月27日 (金)

善友 友人・仕事

善友シリーズのピックアップandまとめは今日で最後です。

友人へ

  • 与えること
  • 優しい言葉で話すこと
  • 役に立つこと
  • 自分と等しく思うこと
  • 約束を守ること

雇っている人へ

  • 能力に相応しい仕事を頼むこと
  • 生活できるくらいの給料をあげること
  • 病時に看病すること
  • ごちそうすること
  • 適当なときに休息させること

雇われている人へ

  • 朝早く起きること(遅刻しないこと)
  • 上司より後に帰ること
  • 盗みをしないこと
  • 上手に仕事をこなすこと
  • 名誉と賞賛を吹聴すること

これまで、善友との付き合い方をピックアップしてきましたが、どれも当たり前と思われるようなことでした。
ですが、きちんと出来ているかといいますと、そうでもないところもあるのです。
当たり前すぎて見逃しているのかも知れませんね。
今まで、このように出来なかった部分も多々あるとは思いますが、これからは気をつけながら出来るようにしていきたいと思いますのでよろしくお願いします。

善友へ感謝です。

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